面白き こともなき世を 面白く

ナンパについて、働くことについて、お金について、政治について、性について、生き方について。

ラディカルに問おう、なんの為にナンパをするのか??喉から出る手で気持ちの蓋を開こうよ、の巻

 

「なぜナンパをするのか??」

「どういうナンパをしたいのか??」

清楚系きょぬう美女、沖縄風しょこたん、戦慄かなの似ホステスとのアポを通じて、そうしたラディカル(radical 根源的)な問いに答える必要性を感じた。

 

なぜか...??

沖縄風しょこたんとテルホーインした日の夜、風呂上がりにコンビニに行った。その時に、「これぞホステス」というような(実際のところホステスかどうかは分からんけど)、長身ドレッシー美女が前を歩いていて、ヨダレが出たから...。

 

あの美女を見た後に、清楚系きょぬう美女、沖縄風しょこたん、戦慄かなの似ホステスの3人とのアポを思い返すと、自分の中で相手に、「めちゃくちゃ魅力を感じていた」とまでは言えないことに気づいた。もちろん、一定の好意はあるものの、「チャンスがあればセク出来たら良いかな」ぐらいの感じやったから。そういうモチベーションでアポしていると、正直、「飯屋決めるのめんどくさい」「疲れた」「眠い」「お金使い過ぎた」「時間使い過ぎた」的な、ネガティブな気持ちが湧いてくる。もちろん楽しさもあるが。友達と行く合コンやHUBやクラブは、そこまで魅力を感じる相手がいなくても「男友達でワチャワチャする」という楽しさがある。ただ、そういうのとは別で、個別でアポをする時に、「魅力感じる度60%ぐらいの人とアポをいっぱい取り付けて、たまにセク出来たり出来なかったりする」ということを繰り返しても、自分にとってはあまり意味がないように思える、ということである。

 

僕が見たドレッシー美女のように、「誰もが認める美女」と出会った時の大抵の人の心の反応は、「自分なんか相手にされるはずがない」「自分には関係がない」で済ませてしまうと思う。ほんまのところは、「一回はこういう人と遊んでみたい、付き合ってみたい」と思っていても。自分の気持ちに蓋をして、見て見ぬ振りをすれば楽でいられる。傷つかずに済む。

 

けれども、「本当にそれで良いのか??」ということである。そういう人生は、「楽だけども、楽しくはないだろう」ということである。「楽しむためにはエネルギーがいる。戦いである」ということである。自分が魅力を感じるものに手を伸ばすことは勇気もエネルギーもいるが、どうせいつか死ぬのであれば、退屈な日常を惰性でやりすごすのではなく、ひっくり返そう、ということである。反体制である。革命である。 勤勉で真面目で従順なタピオカをすする人間もどきになれば楽でいられるが、面白い奴はいつも反逆的である。僕は反逆的な奴が大好きである。出来れば僕もそうなりたい。そのためには、自分の気持ちに蓋をしてしまわず、喉から出る手で、心の蓋を開こうよ、というこである。

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これは、「マキシマムザホルモン」の「亮君」の言う、「コッテリ生きる」ということと同義である。生きていれば色んな感情、思い、欲望が湧く。憧れ、憎しみ、苛立ち、喜び、焦燥、哀しみetc.そうした諸々の思いを、「キッチリ味わおう」ということである。アッサリ流してしまうのではなく。せっかくこの世に生を受けたのだから、全て余すところなく噛み締めよう、ということである。それこそが、「面白き こともなき世を 面白く」 する方法である。

 

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ここまで考えると、僕は、そこまで「ナンパ」がしたいわけではない、ということに気づく。ナンパ自体のスリルや冒険感を求めているというよりも、「自分が一番魅力を感じる人にアプローチして、仲良くなりたい」ということの方が大きい。その為の手段がナンパなのである。だから、出会い方にこだわりはない。ネットでもクラブでもHUBでも風俗でも。ストリートナンパは、確かに、好みの女性を一番見つけやすいし、お金もかからない。一番ラディカルだと思う。ただ、今の自分では出来る気がしないので、視野に入れつつ、やりやすいやり方を模索していこうという感じである。

 

 

ラディカルに問おう、なんの為にナンパをするのか??喉から出る手で気持ちの蓋を開こうよ、の巻 結